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引っ越しをした750乗り。

平成のおわりと、ほぼ時を同じくして定年を迎えました。愛機Z750Fourのこと、趣味のこと、日々の出来事や思い出話を徒然に記していきます。

自粛期間のお楽しみ3

と、のんきなことを言っていた今日、5月1日午後七時過ぎ、

救急車のサイレンと、回転灯の光がわが家の前を通り過ぎ、

お隣の前で停車しました。

 

お隣の御主人がマスクをして家から出てきて乗車し、

「また連絡します」という言葉を残して

救急隊員がご主人を乗せて去ってから数時間

(これは見に行った家内のことば)。

動きはありません。

 

このご時世ですからいろいろ思うことはあります。

 

でも、今朝私が燃えるごみを出しに行った時にすれ違い、

挨拶をかわしたご老人に何かあっては、いたたまれません。

 

それがCovid19の所為ではないとしても。

 

これ以上Covid19のせいで、人が悲しむのは嫌だなあ。

 

自粛期間中のお楽しみ2

ちょっと前回とタイトルが変わりましたが、

自粛期間中の雑記です。

 

定年退職したら、こんなことをしよう、という夢は、

皆さん持っていると思います。

私は第一にオートバイの旅。

久しぶりに、大まかな目的地だけを決めて、オートバイで

出かける、というのがあります。

が、去年は自治会の仕事だのなんだのと、なかなか思い通りにはいきませんでした。

今年こそ、と思っていたのですが、一応四月からの新しい就職先が決まり、

自由な時間はある程度制限される。

ならば三月中に、と思っていた九州への旅は、新型コロナウイルスの影響でボツ。

せめて福島の復興市場へ、と目論んだのも、同様のコロナにまつわる自粛の流れで

ボツ。

四月一杯ほぼ家に籠っていたという状況なのですが、

定年後の楽しみその二は、鉄道の世界。

 

とは言え、もとより凝った写真や音を撮る(採る)趣味はなし。

全国の鉄道に完乗するようなことにも興味はない(お金もないし)。

車両の型式にこだわる趣味もない(古い車両に哀愁や郷愁は感じますが)。

 

敢えて言うならば、このコミックに近いのかもしれません。

 

 

 

この作者、ほかにもこんな作品があります。 

 

 

気ままな鉄道旅とおいしい駅弁、 おいしいお酒。

 

こんな旅に憧れ、房総半島一筆書き列車の旅を考えたりもしました。

 

さて、私の鉄道の原体験は、昭和三十年代の終わりから四十年代の初めの

山梨にある両親の実家への帰省。

横浜の西のはずれ(瀬谷という小さな町)に住んでいた私たちが、

山梨に帰省する際のルートは、大体決まっておりました。

 瀬谷駅北口から神奈中バスで(8:05発)、小田急電鉄新原町田駅(もうありません)まで。

そこから歩いて旧国鉄町田駅へ、そして旧国鉄横浜線で八王子まで行きます。

八王子駅から中央東線で、甲府まで。

 

甲府から、母の実家へは山交バスで一本(確か一日二往復しかなかった)。

     終着のバス停まで。

     父の実家へは鉄道でさらに西へ。

 

この当時は甲府以西は電化されておらず(当然単線でした)、

甲府で汽車を待っていると、大きな蒸気機関車が古い客車をひいて

入線してきたのをよく覚えています。

その汽車に乗って長野との県境に近い長坂という駅まで行きます。

ところどころの駅で上り列車とのすれ違いのため何十分も停車し、

給炭や給水のために停車し、

スイッチバックのためにのんびり下がったり進んだりを繰り返し、

だいたいどちらの両親の家に着くのも、かまどの煙が

立ち上っているような時間でした(電気は来ていたけどガスや水道なんて

来てません)。

この記事投稿してから思い出しました。

甲府から西、蒸気機関車が引く列車(当然エアコンなど、存在しない)、

トンネルに入る前に汽笛を鳴らしたものですが、そうするとオヤジが

慌てて窓を閉めてました。

八王子以西甲府以東(昭和四十年代前半まで単線だったらしい)にも

スイッチバックはいくつかあり、特急や急行待ち(通過待ち)の停車が

よくあったこの時代、各駅停車で八王子から西に行くのには相当な時間が

かかったことを覚えています。

 

そんな何時間もの汽車旅の楽しみが、駅弁や、駅そばなどです。

父親は日本酒とサキイカの燻製で一杯。

今ではあり得ませんが、ボックスシートの窓際には

灰皿があり、喫煙可でした。

下の写真は、まだ定期運行をしていたころの寝台特急あけぼの号の

B個室寝台のものですが、多分同様のものがついていたと思います。

 

 

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これが灰皿です

 

 

尾籠な話ですが、トイレは垂れ流し。便器の中をのぞくと
枕木が見えました(なので、「停車中は使用しないでください」という

注意書きがトイレ入り口に貼ってあった)。

 

そんな旅が私の鉄道の原体験なんです。

 

そしててもう一つの憧れが、遠い昔のテレビドラマ、「2丁目3番地」

(だと思います。違ったら平にご容赦を)。

 

主役の石坂浩二さんが、天井裏にHOゲージの線路を貼り、夜な夜な列車を走らせて

いたシーンなのです。暗い天井裏で、ライトをともして走るHOの車両と、

その雰囲気に魅了されたのです。

が、HOゲージは車両が大きく、という事は当然線路も大きく、

最低でも畳一枚くらいのスペースと、数十万円の資金(特に車両)が必要。

車両を手作りするにしても、動力車(モーター付きの車両。蒸気機関車とか

電気機関車など)になると、キットを手に入れるだけで、やはり数万円。

そこで、鉄道模型に興味を持った大方の人が目を向けるのは、Nゲージです。

 

御多分に漏れず私もNゲージの世界に走りました。

 

たしか二十歳頃に一度楕円形のレールセットと蒸気機関車、旧型客車のセットを

手に入れ、押し入れにレールを敷き、走らせていたのですが、

就職し、目まぐるしい日が続くうちにどこかへ行ってしまいました。

 

それでも、いつかは山の中のスイッチバックのある路線と、

両親の実家の周りに広がっていた田園風景、ひなびた駅などを

模型の世界で再現したいという夢は持ち続けておりました。

 

                           続きます。

 

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自粛期間中

なので、おとなしく刑事コロンボを観ています。警部コロンボの名推理、

すばらしい観察眼も、作品発表から半世紀近く経った今では、

セバスチャンパットン(@NCISニューオーリンズ)のITスキルと、GPSや街中に張り巡らされた防犯カメラの力を借り、ドウェインクリス(@NCISニューオーリンズ)達の行動力をもってすれば、コロンボがいなくても簡単に解決できてしまうでしょう。

そういう意味では推理ドラマがつまらなくなったと言えるのでもありますが

(NCISニューオーリンズは、最近はまっている海外ドラマです。興味ある方は

スパドラをチェックしてください)、まあ、NCISは、

サスペンスドラマともいえるので、これはこれで良しとしましょう。

 

それはさておき、自粛期間中です。

初夏のような陽気の中ではありますが、事故を起こす可能性の高い年寄りは、

おとなしく四輪に乗っています。

ここで救急車を一台、救急病院のベッドを一床使うのは、避けたいので。

 

ま、他人様には関与しないとしても、この29日、好天の中

多くのオートバイ乗りの方が走っていらっしゃいました。

「羨ましいなあ」と思いつつも、前述の理由から

しばらくオートバイはお預けかなあ...と思っています。

 

でも、食料は買いに行かねば。特に生鮮食品は、買い置きするにも限りがある。

 

ということで、この数日来数回伺っているお店があります

(といってもこの一週間で二回くらいですが)。

お店というか、地産の青物の直売場なのです。

詳しい場所は書きませんが、建物は密閉度の低い(要するに相当ぼろい)プレハブ。

入口は開けっぱなし。お客様は、私たち以外、ゼロ

(レジのおばちゃんが一人いるだけ)。

 

という事で、吹き抜ける風の中(直売場の中ね)、多少の青物を買って

帰宅したのでした。

 

この直売所はいつもZで走る散歩道の途中にあるのですが、

三密を避ける生活の中で初めて寄ってみました。

直売所の近くでツバメが巣作りを始めており、

田んぼは田植え真っ盛り。

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お田植中

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お田植中その2

という事で、数日分の青物を買って帰宅しました。

 

ああ、はやくオートバイに乗りたいです。

 

 

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Zippoが帰ってきました

先日修理に出したZippoが帰ってきました。

修理までの詳細は

 

piroji1616.hatenadiary.jp

 こちらで。「レターパックよりもう少し小さな)便」というのは

スマートレター」というものでした。

ま、それはさておき、50日近い日数を経て帰ってきたのは、これ。

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こんな風に

帰ってきたライターをビニール袋から出すと、

 

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あいうえおっとびっくり!

インナーユニットが、一台につき二つ。

つまり、古いものと、新品がライターにセットでついてきました。

早速一台にオイルを満たし使ってみると、新品の使い心地

(って、買ったのは一番新しいものでも十年以上昔ですが…)。

それほど、新しい機械の感触がした、という事です。

重症だったヒンジは、新品のように修理され、中綿も芯(ウイッグというらしい)も、

火打石の部分も、新品になって返送してくれました。

 

これで無料なんですかあ?

こんなことして儲かりますかあ?

御社つぶれないでしょうねえ。

 

とか言いつつ、

Zippo社の正規輸入代理店である、マルカイコーポレーションさんとZippo本社さんの

自社製品に対する誇りと愛情、ユーザーに対する誠意ある対応に心から感動した

一日でした。

 

このをお借りして、マルカイコーポレーションさん、Zippo社さんに

心から御礼申し上げます。

(ああ、禁煙中もZippo捨てなくてよかった)。

 

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方言って

どう思われますか?

 

 

私が生まれたのは山梨県東八代郡境川村という所です(里帰り出産です)。

その後大田区の雑色に5年間、横浜市に二十年間。

千葉に三十六年という居住歴なのですが、

小、中学生の頃は夏休みのたびに二週間くらい山梨の両親の実家(のいずれか)に

預けられていました。一年のうち二週間程度生活していただけなのに、

私の脳は甲州弁に侵食され、今でもたまにポロっと甲州弁が出たりします。

 

必ずしも故郷というわけではありませんが、それでも生まれた土地の言葉って

良いものだと思います。

 

が。

その山梨県地方で、「方言狩り」があったのです(半世紀も昔の話ですが)。

従妹の通う甲府市の小学校では、方言を使うと「悪い言葉!」と言って

先生に叩かれた、という事があったそうです。

 

私は方言は慕わしいものでこそあれ、悪い言葉だなんて全く思ってなかったのですが、

昭和四十年代初めの日本には、「方言は田舎の象徴」「旧弊の象徴」みたいな雰囲気が

あったことは否定しません。

 また、従兄は「俺(おら)あ山梨の人間だから山梨の言葉を使(つこ)うぞ」と、

東京の大学に進学し、新宿に下宿している時もずっと甲州弁を通していました。

 

ま、それはさておき、学生時代、授業のひとつに「方言研究」

(という名前だったか、記憶にない)という内容のものがあり、受講していたのです。

 

その授業の担当だった先生は、今や恐れ多くも阪大名誉教授、方言研究の大家とも

言える方だったんです(数か月前「チコちゃんに叱られる!」に出演されていたのを

拝見して今の状況を知りました)。「真田真治」先生とおっしゃるのですが

(当時は私の学校の非常勤講師でいらした)、もう半世紀以上お会いしておりません。

 

その「真田」先生と直接の師匠だった「池上秋彦」先生から、

学問としてではなく、心の持ち方として学んだのが

「言葉は文化なのですよ」ということです。

 

方言には方言の文化がある、日本の方言を学ぶことは、日本の文化・歴史を学ぶこと、

という事です。

事実「イチイチさん」のおっしゃる通り、方言の中には古い日本語

(東国の人間にとっては鎌倉時代以前の日本語)がたくさん生きています。

 

それらを大事に守ることは、先祖の歴史、文化を守ることだと思うのです。

 

それでも、山梨に行っても甲州弁が聞かれないのは、本当に寂しい...

 

さ、だっちもねえこんいってねえで、そろそろねえれし。

 

本日の課題。上記甲州弁を標準語に直せ。

 

...失礼しました...

 

 

 

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じゃんご

秋田地方では「田舎」のことを「じゃんご」というらしいですね

(下記「イチイチ」さんの記事によります)。

 

https://katen11.hatenablog.com/entry/2020/04/21/ハハノマスク

 

 すみません。まだ他の人の記事がうまく貼り付けられない…

でそれはさておき、思い出したのが、私の義母のことば、「じゃいごだの。」

です。

 

私が住んでいる佐倉の家に義母が初めて来たときのこと、某駅から自宅まで、

国道を離れた農道(ずっと通勤で使っていた)を走っている時のことでした。

 

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こんな感じの道です。

右を見ると

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こんな田んぼ


が広がっています(ちなみにこの柵には電気が流れていて危険です)。

 

こんな道を夕方走れば、「じゃいごだの」と、言いたくもなるでしょう。

青森県弘前地方では田舎のことを「じゃいご」、

秋田県地方では「じゃんご」。

元をたどれば「在郷」という語なんですが、

これは現代日本語として辞書にも項目があります。

 

さて、その「在郷」という言葉は江戸時代から普通に使われていたようですが、

いま、一般的に使っている人は少ない(いえ、ほとんどない)でしょう。

が、遠い北国でじゃいごとかじゃんごと変化しつつ生き残っているのです。

言葉の持つ生命力の強さ、その生命力を大事にしてはぐくんでいる

方言の力強さ、そんなものを感じました。

 

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緑の羽根

って、何ですか。

 

国家の緑化運動の象徴?

そんなこたあ、今はさておきましょう。

まず、通常の生活を取り戻し、それから考える事でしょう。

 

採用試験に合格し、4月からアルバイトに出るはずだったのが、

このコロナ騒ぎで、出勤は保留のまま。要するにお金は一銭も入らない。

 

政府は五月の連休明けを目途にしているようですが、

何の根拠があるんでしょう?

潜在的な感染も収まらないうちに、今の自粛状況を解除したら

どんな惨劇が待っているのか、あほうな私にも想像がつきます。

 

ま、それは置いといてさしあげましょう。

腹が立つ納得できないのは今日のTVで観た国会議員の高給取りの偉い先生方の

胸に刺された緑の羽根です。

 

先生方が今なさらなければならないのは、

緑の羽根の募金ではなく、収入が途絶えて困っている

数多の方々を救う事ではないでしょうか。

 

アルバイトやパート収入で生活を支え、その収入で、

幼い子や自分の命をつないでいる人々を救うことが、緑の羽根より

大切ではないのでしょうか。

 

過去の記事を遡ったら、こんなのを見つけました。

  

piroji1616.hatenadiary.jp

 

あれから半年、高給取りの偉い国会議員の先生方には、

恙なくお過ごしでいらっしゃる。

でも、私ら庶民は大変なんですよ。

ま、それが想像できるなら「手を挙げた人に10万円」とか、

上から目線では言えませんよね、財務大臣殿。

 

ああ、またまとまらなかった。ただ無性に腹が立つ 

 

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TX650

に、遭遇しました。

本日15時過ぎ、水道道路のYAMAHAの看板を揚げたオートバイ屋さんから出た

TXとは、その後私がウチに戻り。ワインを買いに行くときには、

もう一回風車小屋の近くですれ違いました。

 

別に知り合いでも何でもないし、それだけの話ではありますが、

昔のオートバイって、本当に美しい、と改めて思った一瞬だったという

お話でもあります。

 

最近のオートバイに乗っていらっしゃる方には

申し訳ないと思いますが、

これから生きていく時間のほうが今まで生きてきた時間より

短い人間には、今と未来より、どうしても過去のほうが

重くなってしまうのは、年寄りに免じてお許しください。

 

風車小屋の側のチューリップ畑は、「チューリップフェスタ」が

中止になったのにもかかわらず、群れを成す人々が多かったため

全部刈り取られてしまいました。

 

花が咲いたら花を切り落とすのはチューリップの育て方として理にかなっている

そうですが、それでもあのチューリップを植えた近隣の小学生にはショックだった

ことでしょう。

 

ウチの悪ガキどもが小学生だったら、きっと親としてもショックだったでしょう。

 

いろんなことがコロナウィルスの所為で少しずつくるっているんじゃあないかと

想いながらも、庶民は、

宇佐八幡にお参りすることもかなわず、

自宅で犬を撫でてくつろぐこともかなわず、

これからの仕事のこと、どうやって現金収入を手に入れるかを考えつつ、

日々暮らしているのです。

 

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時をかける少女

今(四月十八日午後14:17)日本テレビで放映してます。

 

ああ、懐かしい。

 

家内は小学校時代に観に行ったそうです。

私は観に行ってない、というと

「なぜ?」「なぜ?」と、すごく不思議そうに問われたのですが、

私は劇場に観に行ってはいません。

同じいのしし年生まれとは言え、昭和三十年代生まれと四十年代生まれでは、

その辺、かなり違うんですよ。

ま、それはさておき、これは偶然でしょうが、学校のシーンで、日直役が黒板に書いていた

日付が四月十八日。

主人公がめくった日めくりも四月十八日。

最後の大林マジックなのかなあ、と思いながら見ておりました。

改めてご冥福をお祈りいたします。

 

まとまりませんが、これくらいで…

 

 

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横着クッキング

私の読者さんの中には訳あってフレンチの世界を追われてしまった元フレンチの三ツ星シェフもいらっしゃいます。

そんな方に、料理のことを書いた記事を読まれるのは、大層恥ずかしゅうございますが

料理というほどでもなく、暇になった子供たちのおやつにでも、と思って

恥を忍んで、書こうと思います。

 

省エネ、省マネー。でもおいしい(はずの)横着料理でございます。

笑い飛ばしていてだければ幸いでございます。

 

用意するもの

餃子の皮(市販のもので充分)。

溶けるチーズ(板状でも、フレークでも大丈夫)。

玉ネギ(可能な限り薄切りにする。なくても可)。

ピーマン(可能な限り薄切りにする。なくても可)。

トマト(可能な限り薄切りにする。なくても可)。

ベーコン(なくても可)。

コーン(もちろん缶詰。なくても可)。

コーンビーフ(可能な限り薄切りにする。なくても可)。

アンチョビ(もちろん缶詰。なくても可)。

要するに、餃子の皮と溶けるチーズがあればよいのです。

 

餃子の皮の上に、溶けるチーズをのせ、

オーブンレンジ、ガス台についている魚焼きグリル、

オーブントースターに入れ、焼くだけ。

 

以上でございます。

これを第一歩として、餃子の皮にチーズをのせる前に

前述した具材をのせれば、ピザっぽくなります。

 

ただ、餃子の皮は小さいので、あまり具材はのりません。

 

なので、これを第一歩として、第二歩は餃子の皮の代わりに

薄切りにしたバゲットや普通の食パンを使えば、

立派なピザトーストになります。

市販のピザクラストを使えば

立派なピザに。

スーパーやコンビニで出来合いのサラダを買ってこれに足せば、

立派な食事になります。

 

魚焼きやオーブントースターを使うときには、食パンやクラストが入るサイズか、

確認してください。

 

トッピングをするときに、子供たちに手伝わせると、

子供たちの徒然も多少は慰むのではないと思います。

ウチの子供たちは、もうこんなことじゃ喜ばない

憎たらしい期なので、私は一人でやっていますが…

 

あ、ちなみにピザソースは使いません。

チーズから溶け出した塩気がちょうどよいのですが、

物足りないと思われたときには、焼く前にパンなり、クラストなりに

うっすらと塗るとよいでしょう。

 

上からの加熱でチーズが溶けたころが食べごろです。

上火に気を取られすぎて下のクラストやパンなどを焦がさないように

気を付けてください。 

 

ピザ皿まで手作りするのはハードルが一気に高くなるので、

私もたまにしかやっておりません。

 

ああ、

訳あってフレンチの世界を追われてしまった元フレンチの三ツ星シェフ

に嗤われているだろうなあ、恥ずかしい…

 

 

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