成田のうんちく(いや、ざれごと)
前の記事に続いて成田のことです。
今、私にとっての成田とは、
①税務署
②青色申告会
③空港
という所でしょうか。
殆どの皆さんは、「成田(新東京)国際空港」ですかね。
確かに、成田に近づくにつれ、成田空港を離発着する飛行機が
驚くほど大きな姿で目に入ります。
もともと成田という地は、前の記事にもある成田山新勝寺の門前町として、また、
のどかな農村、利根川を利用した交通の要衝として存続していたのだと思います。
が、「昭和60年代、キャパシティをオーバーしつつあった羽田空港の代わりの国際空港
建設予定地となったところから歴史が大きく動きます。
最初の候補地であった富里、八街(やちまたって読むんです)などが、
住民の反対運動の結果ボツになり、成田市の三里塚に変わったわけです。
でも、ここでも住民の反対運動はありました。
成田の地で生きてきた住民たちと国際空港建設という国家のプロジェクトが
正面からぶつかったのです。
更に悲劇だったのが、その対立の場に行き場をなくしつつあった過激な三派系全学連が
絡んだことです。」
まだ高校生だった私には明確に語る記憶、記録もないので、上記(「」内)は
ネット上の記載に依拠するものだとお断りしておきます。
以下は、自分の記憶によるものです。
都内の大学には大きな立て看板(通称タテカン)に、「三里塚闘争支援!」
「三里塚へ行こう!!」などという文字が躍っていたことは記憶に新しいものです。
成田国際空港の開港前日、管制塔タワーに忍び込んだ過激派学生が管制塔のシステムを破壊、開港が遅れたことも覚えています。
中森明菜の「北ウイング」がヒットしたのは、それから数年後。
成田闘争も影を潜め、ちょっと都心からは遠いけれど(約40Km)、
世界に開かれた日本の国際空港としての地位を確立していきます
(まだ反対闘争は続いているのですが)。
京成線が北総線経由でスカイライナーを走らせたり、
そのわきを立派な国道が走ったり、
成田周辺も私が千葉に来た当時とはずいぶん変わりました。
でも、多分変わらないのがこれ(って結局食べ物かよ)。
今日は、このために成田に向かいました(正確には北印旛沼辺りの印西市ですが)。
前回家内といったところ定休日で悔しい思いをした、印旛沼漁協直営レストランです。
ここで、
まず、ナマズ。てんぷらにするか迷った結果です。
そして、
やっと念願がかない、印旛のウナギにありつけました。
このウナギ、稚魚から養殖しているそうで、皮はパリッと焼けており、身はふっくら。
たれも甘すぎず、ウナギの味を引き立てます。
ご覧のような店内は、多分昭和から変わっていない様子。
それでも、店内には二けたになろうかという人数のお客さんが。
このレストランは、近辺に並ぶウナギが食べられるお店のなかでは、
一番リーズナブルなお値段ではないかと思われます(うな丼2,400円ナリ)。
ウナギや鯰のほか、川エビや鯉などのメニューも割と豊富。
お土産にはウナギの骨を揚げたものを買ってきました。
成田の話がウナギに化けるという
いつもの腰砕けで失礼いたしました。