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引っ越しをした750乗り。

平成のおわりと、ほぼ時を同じくして定年を迎えました。愛機Z750Fourのこと、趣味のこと、日々の出来事や思い出話を徒然に記していきます。

成田のうんちく

またも文爺さんの記事に触発されての記事です。

 

www.boon-senior.com

 

私の記事にも時々出てくる北印旛沼の側を通る道路を使っての(らしい)

プチツーの記事です。

 

で、成田です。

日本全国(いや、世界的に…かも)、「成田」と聞けば、「国際空港」。

 

、江戸、明治時代にタイムスリップして100人に「成田」と聞けば、

50人が「新勝寺のお不動様」と答え、

50人が「団十郎様」と答えるでしょう

(すみません。自信たっぷりに適当なことを言う職業病が完治していません)。

 

ま、それはさておき、承平の乱(東国での将門の反乱)鎮圧のために建立された

(というより鎮圧した結果この地に建てられた)お寺であることは確かです

(だから成田山にお参りしたら神田明神には行ってはいけないらしいのです。

逆も真なり)。

 

江戸の庶民が成田山の存在を知るようになるのは、江戸時代の大スター、

市川團十郎が、その奥さんの出身地であった「成田」にある「成田山新勝寺」に

お参りしたところ、長男を授かって以来、「大スターが子供を授かったお寺」、

ということで江戸では有名になるのです。

初代團十郎不動明王を題材にした歌舞伎を演じたことも関係があります。

 

まあ、そんなことで有名になった成田山ですが、

今でいう「聖地巡礼」みたいな感じで、江戸の庶民たちが訪れるようになりました。

 

江戸の庶民の一番のぜいたく旅は「お伊勢参り」、「富士登山」など。

でも、どちらも遠い。

が、成田山は(それに比べれば)近い。

江戸から下総の成田まで、三泊四日。

お手頃感の強い、でも、かの團十郎様が帰依したお寺に参拝できるのですから、

庶民に人気があったのもうなずけます。

江戸近辺の事情は詳しくないのですが、私の住む佐倉の成田街道沿いには、

いくつか面白いところがあります。

 

一番近いところでは「天狗茶屋」。

 

かの名大関雷電はこの茶屋の娘と結婚したそうです。

その故か、この茶屋跡の近くに雷電の顕彰碑などがあります。

 

ちょっと離れて加賀清水。

 

佐倉城主「大久保加賀守利常」が、参勤交代の際に、ここの清水の水を

好んで召し上がったという言い伝えがあります。

 

もうちょっと離れて「八百屋お七」の墓。

鈴ヶ森で処刑されたお七の遺髪を埋葬したお寺が

八千代市にあります。

 

こんなところを見ながら江戸から成田に通ったのではないでしょうか。

 

ちなみに成田近辺にウナギ屋さんが多いのは、

成田近くの利根川印旛沼(昭和の干拓以前は、もっと大きかった)では、

天然のウナギが捕れました。江戸からの徒歩の旅の疲れをいやすのには、

ウナギがちょうどよかったのかもしれません。

 

江戸時代の庶民が口にできる、数少ない動物性たんぱく質だったのでは

ないかと思います。

 

実際、成田山の参道には今でも「ウナギ屋さん」が、軒を並べます。

ウナギだけじゃないですよ。全然話は違いますが、松尾芭蕉の「鹿島紀行」には、

利根川で鮭を捕って江戸で売りさばいていた人の家に一泊した、という

記述があります。

 

自然の恵みが豊かだったんですねえ。ちょっと感動します。

 

  (後半「昭和の成田」に続きます。)

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