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引っ越しをした750乗り。

平成のおわりと、ほぼ時を同じくして定年を迎えました。愛機Z750Fourのこと、趣味のこと、日々の出来事や思い出話を徒然に記していきます。

久々にまじめに

記事を書こうと思っています。

まあ、まじめっていう尺度がいろいろで、

読まれる方によっては、ただの戯言にしか思えないかもしれませんが。

 

綸言汗の如し(『漢書』)

 

という言葉があります。

「号令は汗の如し。汗は出でて帰らざる者なり」

(すごーく簡単に現代語訳すると、『一度口に出した言葉は取り消せない』ってなことです)

 

別荘を自宅と言ったり、公職選挙法違反があれば説明責任があるといって、

その実頬かむりする、私と妻がこの件に関わっていれば職を辞す、といいつつ、

その証拠が表に出ないよう、忖度しろよ!と周囲に無言の圧をかける、

 

この国の為政者たちの言葉というものが、どんどん軽くなっている気がします。

 

って、偉い政治家先生を貶めるために書いているのではありません。

我が身を振り返ってのことです。

 

一度口に出した言葉は取り消せない。

 

今から10年ほど前、自分が教職全盛期のころ、一度調子に乗って

「お前なんか不用品だあ」と

生徒に向かって口に出してしまったことがあります(その子をMとします)。

Mとはその時すでに一年半の付き合い(教え始めて、という意味です)。

ついついMの軽口に対して軽口で答えた気になっていました。

 

ところが、Mが泣き出したのです。

「私はpiro 先生のこと、大好きなのに。」と。

 

その場をどう収めたのか、覚えていません。

その直後の父母会でMのお母さんに、

「これこれこういうことがあって、こんなことを

言ってしまいました。」といって謝ったのですが、それが本人に伝わったかは

わかりません。

わかるのは、いくら冗談のつもりでも、傷つけられた生徒は冗談とは思ってくれない、

傷だけが残るのだという事だけです。

 

あれは確か2011年のことでした。

その後Mにも謝りましたが、一年後Mは卒業していきました。

 

あれから10年近く、いつも私の中には生徒を傷つけた、という意識がありました。

 

ところでこの夏、Mの同窓生たちが退職祝いを開いてくれることになりました。

Mは高校一年時に担任をして、高校二、三年時は授業を持つだけでした。

Mは、私が会いたいと思っていても会えない卒業生の一人でした。

 

ところが、退職祝いの幹事を務めた卒業生たちは、高校一年から三年までの

私が担任した生徒に声をかけてくれていたのです。

 

三年時のクラスの子たちとは年に一、二度飲み会を開いています(彼、彼女らが

全員20歳を過ぎるまではお食事会でした。本当です)。

でも、一、二年時に担任をした生徒には、もう会うこともないだろうと思っていた

その場に、Mをはじめとする、一、二年時に担任した生徒が何人もいたのです。 

 

何年振りかで会う卒業生の中には、卒業式以来初めて会う生徒もいました。

 

皆で乾杯をしてしばらくして、Mのところへ行きました。

そして「あの時、こうこうこんなことがあって、お前泣いただろ?

ずっと気になっていたんだ。本当にごめん。」と、何年も刺さっていた 棘を抜くように

言ったのです。

 

ところが、M。

「そんなことあったけ?全然覚えてない。」と。

やられました。

「気にしてないよ。」といえば、それは、気にしていた、ということ。

他のどんな言い方をしても、「覚えてない」に勝る言い方はありません

傷つけられたほうが「覚えていない」なら、何も問題ではありません

Mは、そう言いたかったのでしょう。

 

「負うた子に教えられ」という言葉がありますが、35歳年下の卒業生に、

人のやさしさとはどういうものか教えられた気がすると同時に、

「綸言汗の如し」という言葉の意味を、改めてかみしめた祝賀パーティーの夜で

ありました。

 

今、教職を辞してからは、そんなに言葉に気を遣うことはなくなりましたが、

人を傷つけぬよう、言葉には気を付けようとは、常に思っております。

 

 

 

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